「今年も年賀状の印刷頼むねー。」
「はいよ。」
これは年の暮れに、父親と私の間で交わされる会話だ。
私自身はもう数年前から年賀状を送るのをやめてしまったが、父は今も年賀状のやり取りを続けている。
それで、父が送付する分の年賀状をパソコンで印刷するのが、いつしか私の役目となっているのだ。
毎年のようにこの作業を頼まれるのは、正直言ってめんどくさいと思うこともある。
でもまぁ、ちょっとだけ父にも感謝されるし良いんじゃない?と自分に言い聞かせて、何とかこなしている。
昔は年賀状を送る枚数がそこそこ多かったけれど、定年退職してからというもの、その数がめっきり少なくなったなと実感する。
最近シニア世代の間で『終活年賀状』が関心を呼んでいるからだろうか。
年賀状を断捨離?終活年賀状とは
『終活』がブームとなって久しいが、近年その動きは年賀状にまで広がっている。
高齢になり、年賀状を書いて送るという一連の作業が体力的に困難になってきたという人や、長年築いてきた交友関係を整理したいという思いを持つ人に、終活年賀状や年賀状じまいという考え方が支持されてきているようだ。
終活年賀状は受け取る側の気持ちを考慮しているか
終活年賀状は、送る側から見たらメリットの方が大きいのだろうと思う。
毎年義務のようにこなしていた年賀状制作がなくなるので、年末の忙しない時期の負担を減らすことができるし、一年に一回の年賀状でしかやりとりがなく、実生活ではほとんど交流が無い人との関係を整理することができるわけだから。
しかしながら、この終活年賀状には『受け取る』立場となる人が必ず存在する。
実際にもらったときにどのような気持ちになるかは、貰い手によって全く変わってくるのではないだろうか。
もともと双方の関係性が薄く、ご縁が切れたとしても何ら支障がないというのなら、特にこれといった問題にはならないだろう。
でももし送った相手が、たとえ年賀状のやり取りだけだったとしても、その一通のハガキを毎年楽しみに待ってくれていたとしたら。
『本年をもちまして、年始のご挨拶を失礼させて頂きます』といった文面を見て、一抹の寂しさを覚えるのではないか。
言ってみれば、新年早々『あなたとは今後積極的に交流を持つつもりはありません』と、半ば一方的に絶縁状を送り付けているようなものだから。
自分は親友だと思っていたのに、実は相手のほうはそうでもなかった。という事実を知ってしまったときのような心理的ショックを、先方に与えてしまう可能性も無くはないわけで…
終活年賀状のベストなあり方とは?
ここからは私の個人的な意見になるが、新年のご挨拶と年賀状じまいのご報告を一枚の年賀はがきを通して同時に行うのは、相手先への配慮に少々欠ける部分があるのではないかと思う。
なので、喪中はがきのように、年内のうちに年賀状じまいの一報をお伝えできるような制度を新たに導入するのはどうだろうか。
そうすれば、相手も此方に年賀状を送る必要がなくなるわけだから、年賀状制作の手間をかけさせずに済む面があるだろうし、心理的な負担も少しは軽くすることができるかもしれない。
まあ、終活年賀状という言葉が出てきたのがつい最近のことだし、これを実現するのは夢のまた夢なんだろうけど。
年賀状じまいはどこまで広がりを見せる?
終活ブームに伴い、生前整理や断捨離などが注目されつつあるが、年賀状の終活は自分だけでなく、その先に『人』という相手が居るものなので、やや慎重に行っていった方が良いのかもしれない。
メールやSNSの普及で、年賀状を送る人の数が年々減っている現実があるが、長きに渡って継承されている日本の伝統的な風習であることに変わりはないから。
うちの父親も終活を本格的に考え始める年齢になっているが、年賀状を出す習慣はもうしばらく続けていくつもりのようなので、私ももう少し頑張らなきゃいけないかな。
年賀状じまいや終活年賀状という考え方、あなたはアリ?ナシ?